奇術

1897-1899(明治30-32)年頃 浅野四郎撮影

浅野四郎ら小西本店の店員たちは、早くからトリック映画の撮影を試みていたことが知られている。以下は浅野の証言。

「手妻[手品のこと:引用者註]は出来た写真[映画のこと:引用者註]を当時寄席に出ていた手品師の朝日マンマル[原文ママ]が見てビックリ、種を教えてくれと店まで来たことがありますよ。つまりトリックなんですが、洋服を着た人物が大風呂敷を他人に掛け、ややあってパツと風呂敷を取ると人物が消えているという仕掛で(止め写しを応用した訳で、これぞ日本最初のトリック写真である)してな」(小林源次郎「活動写真回顧談」『映画史料』第7集[1962年10月])。

現存するフィルムのコマの内容は若干異なるが、こちらも「止め写し」を用いた何らかのトリックを見せたものではないかと思われる。浅野の回想によれば、小西本店ではこのようなトリック映画の他に、『化け地蔵』や『死人の蘇生』などの寸劇の撮影も盛んに試みられたという。

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