日本の俳優:剣による戦い / Acteurs japonais : bataille au sabre

  • リュミエール

動画詳細

映画題名(日本語) 日本の俳優:剣による戦い
映画題名(フランス語) Acteurs japonais : bataille au sabre
リュミエール社カタログ番号 978
撮影年 1897(明治30)年
撮影者 コンスタン・ジレル Constant Girel
撮影時期 1897年1月9日から10月末の間
時間(分) 1
サウンド サイレント
カラーの種類 白黒
作品解説 ひとりの男に数人の捕り手が絡む立廻りが演じられる。男が車井戸の釣瓶の水をかぶって見得を切るが、クランクが回っているにもかかわらず役者たちは気を抜いてしまい、それに気づく様子まで捉えられている。演じられているのは『樟紀流花見幕張(慶安太平記)』の「裏手井戸立廻りの場」の一部と考えられており、参考文献(塚田嘉信)は、肥田弥一郎「掬水庵日誌」の1898(明治31)年6月7日付の記述が伝える大阪浪花座の上映作品「左団次の丸橋忠弥」と、同年6月30日付『新愛知』の記事が伝える7月1日からの名古屋新守座の上映作品「東京俳優市川左団次丸橋忠弥召捕塚井戸の水遣ひ」が同一作品で本作にあたる可能性を指摘するが、丸橋忠弥を演じる役者が本当に市川左団次(初代)なのかについて詳細に検討している。左団次説を疑問とする理由として、撮影時期と場所が不明であること、東京の役者が丸橋忠弥を演じる際には、本作に見られる鉢巻き姿にはならないという指摘のあることなどを挙げている。映画撮影の談話を残した中村鴈治郎(初代)とは異なり、左団次にはそのような談話は確認されていないことも大きい。鴈治郎の映画出演を伝える1897(明治30)年5月28日付『大阪毎日新聞』の記事(『日本の芝居の一場面』の備考参照)には「立廻り」を撮影したとあるものの左団次の名前はないことから、本作で丸橋忠弥を演じたのは同記事に名前のある市川右團治(右団次・初代)ではないかとする説もある。また塚田は、丸橋忠弥を演じているのが右團治とすると、1897年5月28日付『大阪毎日新聞』の記事から撮影時期は5月27日と推定する。一方、左団次とすると御園座出演のため名古屋に滞在した1897年5月11日から6月18日までの期間で、シネマトグラフが新守座と音羽座で興行された4月24日から6月11日頃までと重なる時期とする可能性を提示する。
製作会社 リュミエール社 Société Lumière
フィルム映写速度 16fps
備考 元素材は、1960年にフランス政府より受贈した35㎜ポジフィルムを原版とする既所蔵35㎜ポジフィルムを基に、2024年度に作製した35mmポジフィルム。
本作のみ受贈当初から左右が逆転した裏焼でプリントされていたため、本サイトでは新たにポジフィルムを作製するにあたり修正した版を公開する。
参考文献 梅村紫声「日仏交換映画祭あれこれ―その一―」(『映画史料』第八集、凡々社、1963年)4-5頁
梅村紫声「日仏交換映画祭あれこれ―その二―」(『映画史料』第九集、凡々社、1963年)5頁
(社)日本映画テレビ技術協会技術史委員会「日本映画技術史年譜 №14」(『映画テレビ技術』№236、1972年、日本映画テレビ技術協会)75頁
塚田嘉信『日本映画史の研究 活動写真渡来前後の事情』(現代書館、1980年)143-163頁
古賀太[編・訳]「上映作品解説」(朝日新聞社文化企画局編『光の生誕 リュミエール!』朝日新聞社、1995年)96頁
古賀太「カメラがとらえた日本 『明治の日本』から『リュミエール映画日本篇』へ」(吉田喜重、山口昌夫、木下直之[編]『映画伝来 シネマトグラフと〈明治の日本〉』岩波書店、1995年)31頁
Michelle Aubert et Jean-Claude Seguin (sous la direction de), La production cinématographique des frères Lumière, [Paris], Bibliothèque du film, Editions Mémoires de cinéma, 1996, p.352.
リュミエール社が撮った明治の日本 1897-1899
 The Meiji Period on Lumière Films
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